書へのアプローチ

“美・醜すべてをさらけ出す”

元本院顧問 西村桂洲(1905~1996)

 良かれ悪しかれ作品と作者は一体であるべきであるが、豪快な作品の作者が弱々しい、豪快味の感じられない人物であったりする場合もある。人物はもうひとつ感心しないのに作品は実にすばらしい人もある。

 私は作品本位に考えるようにしている。作品に感心すれば、人物には感心しなくても、これだけの作品を書き得る人物だと考える様にしている。その反対もあり得るが努めて良い方に考える様にしている。

 私自身は努めて個性的に、私にしか書けない字を書くんだという気概で、私自身の表現だと信じて、作品に打ち込んでいるつもりであるが、空廻りして悪い面ばかり表れる時が多い。 この悪い面こそ自分の本音であるとつくづく思い知らされる時がある。

 こんな時私はその悪い面を何とかしようと思う代わりに、逆に良い面がないかと探し廻る様にしている。なかなか良い面などある筈がないが、それでも一寸でも「これ」と思い当たる面があると、 それを良い面と考えてそれに集中する様にしている。自分に存在する美と醜の両面をそのまま選択せずにさらけ出すことにしている。

<平成7年(1995)9月10日発行、会報90号より>