書へのアプローチ

“書の真実とは”

元本院最高顧問 梅舒適(1916~2008)

 書の同好者が何人か集まって展覧会を開く。これを案内し第3者の観覧を乞い、客観的な批評に気を配る。この集まりが積み重なって大団体となる。必然的に複雑な事務機構を余儀なくされ、 時によっては政治的な色彩も加味される。一個人としても安閑として好きな道に浸ってばかり居れない。優劣を競い、肩書を欲し、上昇に対し常に努力が必要であり、様々な配慮をしなくては存在感が失われる。 今の世の中はそういう仕組になっているのである。これに背を向ければごく僅かな天才的な人を除き、好きなことをして生活が出来ない。また全てにおいて数の理論が生き妥協が求められる。少々の器用さと頭の回転の早いものが書を利用して悠々と生活ができる。 何と結構な世界か、僅かな気苦労ぐらいは何ということはない。多くの人がこれに従っていることは、現在の書学を指向する数をみれば一瞭である。しかし書の真実を求め、 欲する時に書いた作品を後世に残し得るものは、はたして生まれるのだろうか。

<平成7年(1995)11月10日発行、会報91号より>